2023.1.15
2021.08 九州大学出版会
ヨーロッパ文学における「水の女」の系譜は、大小さまざまな流れから成り立つ。但し、その本流は、古代ギリシア神話を水源とし、キリスト教のもとで形を変えながら、中世やルネサンス期の民間伝承や民衆本を経て、近代ドイツのメールヒェンにて川幅を広げ、更にデンマークへと至り、世界文学という海原に流れ出る。
こうした流れの中でドイツ文学の役割は大きい。セイレンの後裔たちは、明るい海原ではなく、奥深い森の湖沼に現れるようになると、文学において頻出する「他者」となり、同時に内面化された「他者」となる。つまり、「水の女」の系譜は、ドイツ文学において、「外なる異界」や「未知なる他者」のみならず、「内なる異界」や「未知なる自己」をも取り込みながら、「水の深さ」が「心の深さ」となる現代的な「他者」経験を問題にしていく。
2012年に刊行された本書は、この種の学術書としては珍しく新装版として再び世に問われることになった。私なりに加筆修正の衝動にもかられたが、ごく一部の文言を直した以外、特に手を加えていない。この衝動以上に強かったのが、学生の皆さんにもっと手に取ってもらいたいという希望であった。このことを九州大学出版会に伝えたところ、若い方々にも比較的購入しやすい価格が実現したのである。学術書をめぐる書籍市場が絶えず「時化」に晒されていることを思うと、九州大学出版会の英断には心を打たれた。学術活動はこのような気骨のある出版社に支えられているのだ。同会には、この場を借りて心より御礼を申し上げたい。
(人文科学研究院 小黒康正)
序章 船出
第一章 歌声の消失
一 聴覚と知性 ホメロス
二 視覚の簒奪 キリスト教
三 水の女の詩学 研究史
四 歌う母と歌わぬ娘 民衆本
五 水の精 パラケルスス
第二章 歌声の復活
一 メールヒェン ヴィーラント
二 耳の復讐 ゲーテ
三 恋の茶番 ブレンターノ
第三章 一八一一年
一 「和平」の物語 フケー
二 「戦い」の火蓋 クライスト
第四章 妙音の饗宴
一 ローレライ「伝説」 ハイネ
二 深い憂い アイヒェンドルフ
三 三重の頓挫 アンデルセン
第五章 宴の後
一 水底から浮かぶ否定性 ホーフマンスタール
二 沈黙する「エス」 リルケ
三 仮象の過程 カフカ
四 芸術の無駄遣い ブレヒト
五 悪魔的領域 トーマス・マン
終章 「水の女」の黙示録 バッハマン
補遺 人魚の嘆き 近現代日本文学
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● 研究者情報
九州大学 人文科学研究院 小黒 康正(オグロ ヤスマサ)
E-mail: oguro☆lit.kyushu-u.ac.jp
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