2022.12.05
2020.02 九州大学出版会
雰囲気は、実体をもたないために諸学問にとって取り扱いにくい事象とされてきた。
本書は、小学校の参与を通じて私達の生きているところやその日々にとって、雰囲気とは何なのかを問い、そのための方法を求めるものである。第Ⅰ部では、諸学問領域がどのように雰囲気を取り扱おうとしてきたのかを明らかにし、雰囲気を問うこと、あるいは雰囲気を問う道筋を求めることの意味を明確にする。そこから具体的な道筋を求める第Ⅱ部は、雰囲気をめぐる問いが、ある小学校で過ごす日々のなかに起きたことに契機を得て展開する。その試みは「学校に居る」こととそこでの雰囲気の意味を明らかにするものになった。
この試みは「ある場所に参与して問う」行為の可能性を考えるものでもある。今居る場所で何か大事なことを経験したとき、私達はそれを変質させたり価値や意義を損なったりせず、問い話し始める道筋を実現しうるのか、その可能性を求める試みとも言える。
雰囲気を巡る環境心理学の試みです。私たちは日ごろ雰囲気について、「言える雰囲気じゃなかった」という表現で私たちの振舞いや経験に大きな意味を持つことを仄めかす一方で「雰囲気なんかに流されるな」などと軽く見積もる発言もします。この本では、こうして多様に言及される、わかっていそうでわかっていない雰囲気の意味をあらためて理解しようと試みました。取り上げたのは生活の場としての小学校での、子どもたちが躓いたり喜びを覚えたりしながらも、あまりにも些細で忘れ去られやすい出来事です。ある場所で生きる人の経験と行為、それに対して直接姿を現さない「環境」のために、新たな解釈学の可能性を開こうと試みました。
(人間環境学研究院 木下寛子)
第1章 問う行為を学びなおすことに向けて:小学校のフィールドから
第Ⅰ部 雰囲気の問いをめぐる状況
第2章 学級の雰囲気に関する心理学的研究の概観:測定から解釈へ
第3章 雰囲気を問う道筋を求める意味
第4章 雰囲気そのものを問う道筋の模索:現象学の二つの試みを通じて
第Ⅱ部 雰囲気を問う道筋
第5章 雰囲気が言葉になるとき:小学校の日々から始まる雰囲気の解釈学的現象学
第6章 出会いと雰囲気の解釈学:「出会いの解釈学」が照らし出すもの
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九州大学 人間環境学研究院 木下 寛子(キノシタ ヒロコ)
E-mail: kinoshita.hiroko.047☆m.kyushu-u.ac.jp
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