2022.11.18
2020.03 中央公論新社
鎌倉時代末期、兼好法師が著した日本文学屈指の古典『徒然草』。自然の移ろいに美を見いだし、死や老いが主題の随想を含むため「無常観の文学」という理解が主流だ。しかし、ベストセラーだった江戸時代には多様な読み方がなされた。江戸幕府に仕えた儒者の林羅山は儒教に基づく注釈書を作り、近松門左衛門は浄瑠璃で兼好を色男として描いた。本書は『徒然草』の知られざる章段や先達の読みを通して奥深さと魅力に迫る。
いわゆる古典と称されるものなかには、千年以上も読み継がれてきたものがあります。しかしその「読み」のあり方は、その時代その時代の常識(コンテクスト)によって、微妙に変化してゆきます。
たとえば、『徒然草』の「つれづれ」とはどんな意味なのか。現代では、「退屈(ひまだ)」と訳すのが主流ですが、17世紀ではそうではありません。「寂寥(さびしい)」と訳すのが主流です。「つれづれ」という言葉には、もともと「退屈」と「寂寥」と二つの意味があるのですが、時代によって、どちらに重きを置くかという「好み」が分かれるわけです。その「好み」を形成しているのが、その時代の常識(コンテクスト)ということになります。
私の研究関心は、このような文学テクストの置かれた「場」を考えることにあります。17世紀の人たちの『徒然草』の「好み」のなかには、わたしたちの知らない――本当は『徒然草』の本質に迫るかもしれない、さまざまな面白い問題が含まれています。本書はそのような、『徒然草』の新しい魅力を伝えたくて執筆しました。
(人文科学研究院 川平敏文)
序章 徒然草の誕生
第1章 「つれづれ」とは何か
第2章 教科書に載らない章段
第3章 兼好の巧みな話芸
第4章 黙読だけではない楽しみ方
第5章 古典としてのポテンシャル
終章 再び「つれづれ」とは何か
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九州大学 人文科学研究院 川平 敏文(カワヒラ トシフミ)
E-mail: kawahira☆lit.kyushu-u.ac.jp
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